過去のサッカー・ワールドカップを振り返る

バイク<<サッカーの日々

2022年も残すところあと1週間になりました。年中バイク乗る管理人は、11月〜12月が大好きです。理由は、九州では少々寒いのを我慢すれば、道も空いているのでバイクで快走できるからです。(と思っていたのですが、今年の12月末の寒波はちょっと寒すぎますね)しかしながら今年の11月〜12月は、バイクに乗る頻度が激減しました。何故なら4年に1度のサッカーの祭典「ワールドカップ・カタール大会」が開催されていたからです。今回はバイクの話ではないのですが、前半・後半に渡ってサッカーワールドカップについて熱く語ります。

というわけ2022年カタール大会のお話をする前に、自称サッカー大好きの管理人(40代)が知る限りの過去のワールドカップについて、記憶をたどりながら前半戦は綴っていきたいと思います。

・キャプテン翼ブーム→ドーハの悲劇

管理人の幼少期は、とにかく漫画「キャプテン翼」が大流行。私も大空翼・日向小次郎の影響を受けながら、小学校ではサッカーをしていました。中学校に進むと何故かその中学にサッカー部がなかった為、プレイヤーとしてはサッカーを辞めてしまいました。それでもサッカーを見るのは大好きで、1993年日本で「Jリーグ」が始まった時は、国内のサッカー熱は最高潮でした。そして同年10月28日ワールドカップ・アジア最終予選、サッカー日本代表はカタールのドーハでイラク代表と対戦し、勝てば初のワールドカップ出場が決まるという大一番の中、なんとロスタイムに追いつかれ2−2のドロー。日本はワールドカップ出場を逃し、これが後に「ドーハの悲劇」として語り継がれることになります。当時の日本代表ボランチだったのが、森保一。現在の日本代表監督です。

映像の粗さに時代を感じますが、この「ドーハの悲劇」があったから今があります

・1994年アメリカ大会

日本代表が出場できなかった為、そこまで国内では盛り上がっていなかったアメリカ大会。当時高校生だった管理人は、NHKの衛星放送で放映される世界最高峰のサッカーに釘付けになっていました。特に脳裏に焼き付いているのは、決勝戦のブラジル VS イタリア戦。2トップにロマーリオ・ベベットを要するブラジルに対し、満身創痍ながらもゴールを決め続けたロベルト・バッジオ率いるイタリア。決勝戦はどちらも決め手を欠き、延長でも点が入らず、スコアレスでPK戦へ。5人目のPKキッカーであるロベルト・バッジオがPKを枠外へ外し、ブラジルは4度目のワールドカップ制覇を成し遂げました。

・1998年フランス大会

アジア最終予選:アメリカ大会後、後任に就いたのは日本人の加茂監督でした。しかしながらアジア最終予選に入り、不振が続き加茂監督は更迭されます。日本サッカー協会は後釜に岡田武史監督を招き、巻き返しを図りました。そしてドーハの悲劇から4年、日本代表はアジア最終予選のアジア第3代表決定戦にて、イラン代表と対戦。2−2のスコアで延長に突入し、野人「岡野雅之」が延長Vゴール。悲願のワールドカップ初出場を果たします。そしてこの試合が後に、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれました。

TV東京でこの映像を見ながら、叫んでいた自分を思い出します

ワールドカップ本戦

初出場の日本代表は、予選リーグでアルゼンチン・クロアチア・ジャマイカと対戦。残念ながら3戦全敗でワールドカップを去ることになります。ジャマイカ戦の中山雅史のゴールが唯一の得点。日本と世界との実力差を痛感したワールドカップでした。

この大会は、レ・ブルーと言われた開催国フランスの独壇場でした。10番のジダンがタクトを振るう華麗なシャンパンサッカーは、見るものを魅了しました。そしてFWは彗星のごとく現れた二十歳のスピードスター・アンリ。決勝戦は、ジダンの2ゴールなど3-0で前回大会王者ブラジルを下し、フランスが見事ワールドカップ初優勝を果たしました。

2002年日韓大会

ワールドカップ本戦

ワールドカップの歴史において、初のアジア&2カ国同時開催であった日韓大会。開催国の日本はアジア予選を免除されているため、予選なしでワールドカップ本戦に出場しました。この大会は、管理人も2試合実際に見に行ったので思い入れが強いですね。当時貴公子言われたと言われたベッカム擁するイングランドとスェーデンの試合を、埼玉スタジアムで観戦しました。ワールドカップでイングランド代表を間近で見れた感動は、今でも鮮明に覚えています。そして翌日新潟に移動し、メキシコ VS クロアチアを観戦。メキシコ人サポーターと一緒に応援していたのですが、メキシコ勝利が決まると場内はお祭り騒ぎになりました。

日本代表は、前回大会終了後フランス人のトルシエ監督を迎え、フラットスリー(3バック)を採用しチームを強化。予選リーグ初戦のベルギー戦を2−2で引き分けて、ワールドカップ初の勝ち点をゲット。鈴木隆之&稲本潤一のゴールにはしびれましたね。続くロシア戦も稲本が決めて1−0で、日本がワールドカップ初勝利。3試合目のチュニジア戦、中田英&森島が決めて2−0の快勝で、初の決勝トーナメント進出を決めました。そして決勝トーナメント1回戦はトルコと対戦しましたが、ウミトダバラにゴールを決められ1−0で敗戦。惜しくもベスト8ならず。

この大会は、もう一つの開催国であった韓国がイタリアとスペインを破り、ベスト4と躍進。そして圧倒的に強かったのが、攻撃陣にロナウド・リバウド・ロナウジーニョの3Rを擁するブラジル。準々決勝でイングランドと対戦し、ロナジーニョが直接フリーキックを叩き込んで、逆転勝利でベスト4へ。続く準決勝でトルコを1−0で破ったブラジルは、決勝戦でもドイツの絶対的守護神オリバーカーンから、FWのロナウドが2ゴールを決め、5度目の優勝。特に大会を通して活躍した、ロナウジーニョのスーパープレーには圧倒されました。

日韓ワールドカップでロナウジーニョのファンになりました

2006年ドイツ大会

アジア最終予選

日韓大会後の日本代表は、監督に鹿島アントラーズを率いたブラジル人・ジーコを監督に迎えます。中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一の豪華な攻撃的MFは「黄金カルテット」と呼ばれ、攻撃的な戦術でドイツワールドカップの躍進を目指しました。アジア最終予選は北朝鮮や中東勢に苦戦を強いれられましたが、大黒将志などの活躍などで首位通過し、3度目のワールドカップ出場を決めました。

ワールドカップ本戦

日本代表の予選リーグ第1戦は、同じアジア枠のオーストラリア。前半中村俊輔のゴールで1−0で折り返すも、後半ケーヒルに2ゴール決められるなど1−3で逆転負け。2戦目のクロアチアは0−0の引き分け、3戦目ののブラジル1−4で完敗し、2敗1分のリーグ最下位。当時の日本代表メンバーは過去最強と言われていましたが、内紛が起こっていたとも言われており、1勝もできないまま大会を後にしました。チームの中心だった、中田英寿はこの大会を最後に、29歳の若さで引退しました。

最後にピッチに倒れて動けないヒデの姿が印象的でした

この大会は、カテナチオと言われた堅守を誇るイタリアが躍動しました。イタリアは準決勝で延長戦の末ドイツを2−0で破り、決勝に駒を進めます。対するフランスは準決勝でブラジルを3−0破るなど、ジダンを中心とした攻撃陣が絶好調。決勝は、ジダンがPKを決めフランスが先制するも、後半マテラッツィがヘッドを押し込み同点。1−1のまま延長戦に入り、マテラッツィに挑発されたジダンが、報復に頭突きを喰らわせレッドカード一発退場に。延長でもゴールが生まれず、PK戦に突入します。フランス2人目のトレゼゲが枠外に外したのに対し、イタリアは全員が決めて、イタリア4度目のワールドカップ優勝。退場したジダンは、この試合で現役を引退しました。

2010年南アフリカ大会

アジア最終予選

ドイツ大会が終わり、ジェフ千葉でも指揮を取ったイビチャ・オシムが日本代表監督に就任。「考えて走るサッカー」がテーマのオシムジャパン、メンバー選考も走れる選手が中心に。選手が次々と連動するサッカーは、観るものを魅了しました。しかしながらアジア3次予選前の2007年11月、オシム監督が脳梗塞で倒れ、後任は岡田武史監督へ。最終予選では、同組のオーストラリアには勝てなかったものの2位通過で4度目のワールドカップ出場を決めます。

ワールドカップ本戦

日本代表は、アジア最終予選後の国際試合では不振が続き、大幅な戦術変更・スタメン変更(若手起用)を敢行して、ワールドカップ本戦を迎えました。本田圭佑を1トップにし、阿部勇樹をアンカーに置く守備的なシステムを採用し、これが功を奏することに。初戦のカメール戦、本田のゴールで1−0で勝利しました。2戦目のオランダ戦は0−1で敗れますが、第3戦のデンマーク戦、本田、遠藤保の直接FKもあり3−1で勝利し、決勝トーナメント出場を決めました。決勝トーナメント1回戦の相手はパラグアイ。両者決め手を欠き、延長でも決着がつかずPK戦へ。惜しくもPK戦で敗北し、またしてもベスト16の壁は破れず。

この大会は、無敵艦隊スペインのための大会でした。スペイン代表は、ティキタカ(各選手のオフ・ザ・ボールの動きだしにより複数のパスコースを確保し、ショートパスを多用して相手ゴールへ迫る戦術)で相手を圧倒し、決勝まで駒を進めます。決勝戦の相手はドイツで、延長に入りイニエスタが決勝ゴールを決めて、スペインが初優勝。ボールポゼッションを高め、パスで相手を崩して仕留める美しいサッカーで、我々を魅了してくれました。

2014年ブラジル大会

アジア最終予選

南アフリカ大会後、ACミランなどで指揮をとったアルベルト・ザッケローニが監督に就任。メンバーは前回大会で活躍した本田・長友などの若手に加えて、ドルトムントの香川真司などが中心。固定メンバーで連携を深めて、アジアカップを制覇。勢いそのままに危なげなくアジア最終予選B組を首位で終え、5度目のワールドカップ出場を決めました。

ワールドカップ本戦

アジア最終予選後のコンフェデ杯や親善試合では日本代表は不振が続き、これまでの固定メンバーから選手を何人か入れ替えて本大会に臨みました。そういった突貫工事をしたにも関わらず、初戦のコートジボアール戦は本田のゴールで先制するも、後半2点を取られ1−2。続く2戦目のギリシャ戦は、ギリシャの守備を崩せず0−0のドロー。3戦目のコロンビア戦、ハメスロドリゲスに圧倒されるなど良いところがなく、1−4で敗れます。期待されていたザックジャパンでしたが、どこかチームが噛み合わず1勝もできずにブラジルを後にしました。

この大会は、知将レーヴ監督の元、完成度の高いプレッシングサッカーで優勝したドイツ代表が印象的でした。地元開催ブラジルと準決勝で対峙しましたが、7−1で勝利したのはドイツでした。エースのネイマールが怪我で離脱していたとはいえ、地元での歴史的大敗は「ミネイロン惨劇」と後に呼ばれるように。決勝の相手はアルゼンチン。スコアレスのまま延長に入りましたが、マリオ・ゲッツェが決勝ゴールを決め、ドイツは4度目のワールドカップ制覇を成し遂げました。

2018年ロシア大会

アジア最終予選

ブラジル大会後、メキシコ人のアギーレを監督に招聘します。アギーレジャパンも板についてきた1年後、過去に八百長試合に関わったとしてアギーレ監督は解任、ハリルホジッチが後任監督に。そしてアジア最終予選が始まり、初戦のUAE戦をホームで1−2で落とします。その後日本代表は底力を見せ、負けなしで6度目のワールドカップ出場を決めました。そしてワールドカップ開幕2ヶ月前に迫る中、ハリル監督と選手の不協和音、選手の反乱などが理由で、ハリルホジッチは電撃解任され、後釜には日本人監督・西野朗氏へ。

ワールドカップ本戦

ワールドカップ2ヶ月前に就任した西野監督は、ハリルホジッチ戦術を世襲しつつも、選手の自主性を尊重し、ワールドカップ本戦に臨みました。初戦は、前回大会で1−4と惨敗したコロンビア。前半コロンビアに退場者が出てから日本が攻勢に出るようになり、最後は大迫がヘッドで決め2−1で勝利します。2戦目はアフリカのセネガル相手に、2度もリードを許すが、いずれも追いつき2−2でドロー。そして3戦目のポーランド戦、日本は先制を許すも、0−1でイエローカードをもらわずに負けれは決勝トーナメント進出が決まる展開で、攻めないことを選びます。この行為が後に物議を醸しましたが、ベスト16に駒を進めました。そして決勝トーナメント1回戦は、当時ランキング3位の強豪ベルギー。日本は、後半3分の原口と7分の乾のゴールで2−0とリードします。ところが後半24分にベルギーにゴールを許すと、29分に同点、そして後半ロスタイム4分から、高速カウンターで失点し2−3と敗れます。この試合は後に、「ロストフの悲劇」と呼ばれるようになりました。

決勝トーナメント1回戦屈指の好カード、フランVS アルゼンチン。壮絶な撃ち合いの末、4−3で制したフランスが決勝まで駒を進めます。フランスは19歳の怪童と呼ばれたエムバペやグリーズマンが、大会を通じて躍動しました。ブラジル、ベルギー、スペインが次々と姿を消す中、クロアチアが決勝まで勝ち上がります。決勝戦は、フランスがグリーズマン・ポグバ・エムバペがゴールを奪い、対するクロアチアのペリシッチ・マンジュキッチが得点するも、フランスが4−2で勝利。フランスは無敗で、5大会ぶり2度目のワールドカップ制覇しました。

前半のまとめ

少し長くなってしましましたが、1994年アメリカ大会から前回大会の2018年ロシア大会まで、日本代表と優勝国を中心に書いてみました。こうやって振り返っていくと、サッカーのワールドカップは4年に一度の国の威信を掛けた真剣勝負だということがよく分かります。そして日本代表のアジアでの戦い、監督の系譜も実に興味深いですね。日本が悲願のワールドカップ出場から24年が経ちますが、一進一退しながら着実に強くなっていると思います。しかしながらサッカー強豪国との差はまだまだあるので、これからの飛躍に期待ですね。次回は、後編として先日まで行われていたワールドカップ・カタール大会2022を振り返っていきます。

1件のコメント

  1. ピンバック:サッカーワールドカップ・カタール大会を振り返る – Imported motorcycle Lovers

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です