自身の”音楽遍歴”を振り返ってみた

皆様、大変ご無沙汰しております。暦はもう11月末日、秋めいたというより、もう冬の寒さ感じる季節がやってきました。そして2025年も残すところ1ヶ月になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。頻度は少ないのですが、デニムや革ジャンを着てバイクや車に乗ってはいます。しかしながら、最近どうしても執筆意欲が湧かず、更新が3ヶ月ほど空いてしまいました。

実はバイクや革ジャンを好きになる何十年も前から、筆者には1つ趣味がありました。それが「音楽鑑賞」です。10代の終盤にはEpiphoneのセミアコのギターを購入して練習していたのですが、あまり上達せずそのギターはお蔵入りになりました。20代になるとクラブミュージックにハマり、テクニクスのDJセットを購入してアナログレコードを買い漁っていた時代もあります。しかしながらギタリストやクラブDJといったプレイヤーにはなれなかったので、趣味「音楽鑑賞」に留まりました。それでも筆者の人生の中で、音楽に関してはすごく幅広いジャンルを聞いてきたという自負があります。ということで今回は音楽関係の投稿第一弾として、筆者の”音楽遍歴” を簡単に語っていきたいと思います。あんまり興味ないかもしれませんが、ご購読してくれたら幸いです。

↓Epiphoneのセミアコ(ES-335)

*Epiphonは当時独立した楽器メーカーでしたが、後にGibsonに買収されました。

↓下記の画像はイメージですが、テーンテーブルはテクニクス、ミキサーはベスタックスを使っていました。

・幼少期

確かな記憶があるわけではないですが、筆者の幼少期には旧ジャニーズの「光GENJI」が大ブーム。巷ではローラースケートが売り切れるくらい流行っていましたね。そんな中、私は光GENJIより硬派な「男闘呼組(おとこぐみ」が好きでした。初めて購入したカセットテープも、男闘呼組の “タイムゾーン” だったと思います。当時はCDもなくて、音楽番組やラジオを必死でカセットテープに録音して聞いていたのを覚えています。その後CDが発売されるようになり、SONYの「ドデカホン」といういわゆるラジカセを親に買ってもらいました。ラジカセには、ラジオ・カセットテープレコーダーそしてCDプレイヤーがついていたので、人生初めてCDを購入することに。そのCDは、「長渕剛」の “JEEP” というアルバムでした。初めて買ったCDがプレイヤーの中でクルクル回っているのをいつまでも見ている、そんな小学生でした。

↓SONYのドデカホン(イメージ)

↓男闘呼組のタイムゾーンと長渕剛のJEEP(懐かしすぎ)

・中学生時代

<日本のロックバンド>

中学生時代前半は、色々なバンドが台頭してきた頃でした。中でも好きだったのは、「THE BLUE HARTS」や「ユニコーン」。CDについている歌詞カードを見て詞を覚え、カラオケでTRAIN・TRAINや大迷惑を歌っていましたね。35年くらい前のことですが、今でも甲本ヒロトや奥田民生が音楽活動を続けているのは、感慨深いです。その他にも好んで聞いていたのは、いとこが大好きだったBOØWY(解散後)やバービーボーイズ、母が好きだったサザンオールスターズなどでした。

↓懐かしいTRAIN TRAIN のCDジャケット

<洋楽との出会い>

中学生も後半になってくると、色気付いてきたのか洋楽を聞くようになってきます。洋楽への入り口は、王道のビートルズやローリングストーンズ。そこから当時流行っていた、ガンズアンドローゼスやレニークラビッツなど聴き漁っていましたね。一通りアメリカの王道ロックを通った後、グランジロックと呼ばれるジャンルに出会います。1980年代後半から1990年代前半にかけて、アメリカのシアトルその中心に興ったオルタナティブロックの一種です。グランジとは爪の垢・汚いという意味で、歪んだギターサウンドと内省的で暗い歌詞、古着ファッションが特徴的でした。筆者は、その中心にいたあるバンド(ミュージシャン)を心酔していました。

<Nirvana(ニルヴァーナ)が大好きになる>

そのバンド名はNirvana(意味はサンスクリット語で涅槃)といって、カート・コバーン(ボーカル・ギター)、クリス・ノヴォセリック(ベース)、デイヴ・グロール(ドラム)の3人組ロックバンド。 ”Smells Like Teen Spirit” という曲が世界中で大ヒットし、一躍ニルヴァーナはスターダムにのし上がりました。その後いくつかの曲をリリースしていきますが、ボーカル&ギターのカート・コバーンがオーバードーズ(麻薬中毒)になります。そして1994年、カートは自ら銃で頭を打ち抜き自殺。大好きだったニルヴァーナの歴史はここで幕を下ろしました。ロックの世界において、メンバーが亡くなると神格化されることがありますが、まさにニルヴァーナはその王道でした。中学生だった筆者は、このニルヴァーナに深く影響を受けました。

↓このNEVER MINDのジャケットにも度肝を抜かれました

↓今でもカートコバーンは永遠のカリスマです

・高校生時代

<UKロックの虜になる>

高校時代の初めは引き続きニルヴァーナやパールジャムを聞いていましたが、前述のカート・コバーンの自殺によりグランジロックは衰退の一途を辿ります。変わって台頭してきたのが、イギリスのUKロックでした。オアシス、ブラー、スエードなど、アメリカンロックとはまた違ったメロウで少しポップなサウンドが特徴的でした。中でも特に聴いていたのが、ギャラガー兄弟率いるオアシス。なんと2025年に活動を再開して、先日の東京公演は話題になりましたね。

<メタルバンドを聴く>

自身はUKロックを好んで聴いていましたが、高校の同級生達はメタルが大好きで、コピーバンドをしていました。当時メタリカ、メガデス、ミスタービッグなど流行っていたのを覚えています。超絶なテクニックを持ったメタルのギタリストに憧れて、友人達は必死で早弾きの練習していましたね。

・大学生時代

<パンクロックのムーブメント>

大学生になると、同級生の影響でパンクを聞くようになります。洋楽ではグリーンデイが流行っていましたが、日本のパンクシーンもかなり盛り上がっていました。それを先頭で牽引していたのが、Hi-STANDARD(通称ハイスタ)。友人達と一緒にライブやフェスによく行ってました。ハイスタ以外には、ブラフマンやハスキングビーなどのメロコア勢、ポットショットやスキャフルキングなどのスカパンク勢などをよく聴いていました。ちなみに熊本天草出身のWANIMAは、ハイスタ横山氏が社長を務めるレーベル「Pizza Of Death」に所属しており、ハイスタに強い影響を受けています。

<クラブミュージックが好きになる>

そんな周りがパンク全盛期の中、ジャンルの違う音楽家(DJ)2人に会うことになります。それが「DJ SHADOW」と「DJ Krush」。当時DJをしていた友人の家で、DJ SHADOWの “Organ Donor” を聞かせてもらったのですが、雷に打たれたことを今でもよく覚えています。ボーカルもないのに何というセンセーショナルなサウンドなんだ、これがクラブミュージックなのかと衝撃を受けました。そしてもう一人は、世界でも知る人ぞ知る日本人DJ&トラックメーカーのパイオニア、DJ Krush。この運命的な出会いのおかげで、クラブミュージックにどっぷり浸かっていくことにまりました。

このクラブミュージックを通して、大阪や東京のクラブに通うようになります。また自身でターンテーブルとミキサーを購入して、アナログレコードの素晴らしさを知ることになりました。東京の就職活動に託けて、渋谷でレコードを掘りまくってたのは、内緒の話ですが・・・(笑)。

・20代

<HIP HOPを聞き始める>

通常クラブミュージックといえば、ヒップホップやR&Bが王道だと思うのですが、私はラップや歌がないDJ SHADOWやDJ Krushといったアブストラクトから聴き始めました。なので逆再生するかのように、後からヒップホップ、R&B、ソウルを聞くように。王道のヒップホップはあまり聞かず、アンダーグランドヒップホップを好みました。この辺はマニアックすぎるので割愛しますが、日本のヒップホップも2組好んで聴いていました。1人目が「Shingo2」と言って、アメリカで活動するバイリンガルラッパーです。アメリカの名門UCバークリーを首席で卒業している秀才は、ヒップホップには似つかわしくない、哲学的で風刺的なラップを聞かせてくれます。もう1組が、札幌のヒップホップユニット「The Blue Harb」。攻撃的だけどどこか色気のあるラッパーBoss the MCとドープでアンダーグランドなサウンドを作るトラックメーカーON0の2人組です。

<クラブジャズを聞くようになる>

そこからさらにクラブミュージック愛が加速していきます。ヒップホップなどの原曲で使われているジャズが気になり始め、そこからジャズの要素を取り入れたクラブジャズにハマります。クラブジャズとは踊れるジャズのことで、もう少し具体的に言うとジャズにグルーブ感を持たせたダンスミュージックを指します。当時京都で活動していたKyoto Jazz MassiveJazztoronikなどの日本勢、ヨーロッパのJazanovaやジャイルス・ピーターソンなどのヨーロッパ勢を好んで聴いていましたね。

・30代

<ハウスミュージックにハマる>

クラブジャズからの流れを引き継いで、ハウスミュージックも聴くようになります。ハウスミュージックとは、「4つ打ち」と呼ばれる一定の四分音符を刻むドラムが特徴的な音楽です。当時は、Masters At WorkPlay Boyなどの歌物ハウスミックス(ディープハウス)が大流行していましたね。特にMasters At Workがミックスした Monday 満ちる(日本人シンガー)の ”Sunshine After The Rain” はハウス系クラブイベントでは必ずといっていいほど流れていた名曲です。また日本シーンでは、Mondo GrossoやFPMなど、日本人シンガーをフューチャーしたハウスがクラブシーンを盛り上げていました。そこからハウスを掘り下げていくようになり、テクノ要素の強いテックハウスやドラムンベースっぽい音も聴くようになりました。

<ブラジリアンジャズにもハマる>

またハウスミュージックと並行して、女性ボーカル歌物のボッサやブラジルリアンジャズも好きになってきます。日本勢ではオレンジペコーやエゴラッピンなど、ジャズ系・渋谷系も流行りましたね。この頃からボーカルものは女性シンガーを好んで聴くように。とにかく30代は、歌謡曲やポップスからクラブミュージックまで、幅広い音楽を楽しんでました。

・40代

<ポップに回帰する>

40代に入ると少し音楽熱が収縮してきました。それまで聴いきたヒップホップやハウスなど、特に重めのサウンドをあまり聞かなくなったのもこの頃だったでしょうか。音楽人生の中で、一番流行りの歌を聴いていたように思います。引き続き女性ボーカルモノが好きで、40代中盤からはボカロPの「YOASOBI」や『ヨルシカ」を好むようになりました。

2024年にどうしても生で「ヨルシカ」を感じてみたいと思い、大阪城ホールまで見に行きました。また2025年には、「Aooo(アウー)」という邦楽ロックバンドに大ハマりすることになります。これら2つのバンドについては次章以降で、詳しく書いていきたいと思います。

・音楽遍歴のまとめ

いつもは、バイク・車・レザー・デニムなどの話題を中心に書いている当ブログですが、今回は筆者のもう一つの趣味である「音楽」についてポストしてみました。こうして振り返ってみると、ポップスからロックやクラブミュージック経て、またポップスに戻ってきている自身の「音楽遍歴」は中々ユニークだなぁと感じました。そして音楽は、人類のほとんどが通ってくるであろうキラーコンテンツで、 音楽遍歴 は十人十色です。少し音楽の趣味趣向が似ていたり、共通点があったりすると、お互いの距離が近くなったりしますよね。また人生は山あり谷ありというように、どうしても落ち込んでいる時に、音楽が救ってくれた経験は、誰しもあるのではないでしょうか。私は、人生において色々な影響を及ぼしてくれる「音楽」が大好きです。これからもレギュラーコンテンツに加えて、この音楽について言及していきたいと考えています。ここまでご購読ありがとうございました。

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